なぜ苦情処理簿の整備が重要なのか
苦情処理簿は、公安委員会の立入検査で確認される帳票であると同時に、
現場でのトラブルが後日損害賠償請求に発展した際に会社を守る証拠としても機能します。
立入検査の観点
記載内容が形骸化していないか(原因究明・改善措置が具体的か)まで確認されます。「謝罪した」の一言では指導対象になり得ます。
損害賠償リスクへの備え
民法第715条(使用者責任)において、使用者が被用者の選任・監督について相当の注意を払っていたことを示す証拠として、日常的な苦情対応・改善措置の記録が機能し得ます(推定)。
公安委員会の立入検査において、苦情処理簿は「書類の有無」だけでなく、「記載内容が機能しているか」まで確認されます。「クレームを受けたが口頭で解決した」「依頼者からではないから書かなくていい」という運用は、検査での指摘だけでなく、後日の損害賠償請求時に会社を守る手段を失うことにもつながります。
📌 根拠条文(事実)
警備業法第20条(苦情の解決):警備業者は、警備業務の依頼者等から当該警備業務の実施について苦情の申出があったときは、誠実にその解決に当たらなければならない。
警備業法施行規則第66条第1項第8号(必須記載事項):警備業務に関する苦情について、「苦情を申し出た者の氏名及び連絡先、苦情の内容、原因究明の結果、苦情を申し出た者に対する弁明の内容、改善措置並びに当該苦情の処理を担当した者の氏名を記載した書面」
同条第2項:保存期間の規定なし(詳細はセクション5)
苦情処理簿の備付義務は施行規則第66条第1項第8号が定めていますが、「苦情の対象範囲」については警備業法第20条の「依頼者等」の解釈が重要になります。この「等」の範囲が実務上の最大の落とし穴です(次のセクションで詳述)。
施行規則が列挙する必須記載事項は以下の7項目です。これらが欠落した苦情処理簿は立入検査で不備として指摘されます。
| 記載項目 |
記載時の注意事項 |
| 事実苦情申出者の氏名 |
氏名を特定できない場合(匿名・名乗らない等)は「匿名希望」「氏名不詳」と記載します。空欄のままにするのは不可です。 |
| 事実苦情申出者の連絡先 |
電話番号・住所等。取得できない場合はその旨を記載します(「連絡先の申告なし」等)。 |
| 事実苦情の内容 |
発生日時・場所・関係した警備員の氏名・具体的な状況を記載します。「対応が悪い」等の抽象表現のみでは不十分です。 |
| 事実原因究明の結果 |
「なぜ起きたか」を記載します。関係者への聞き取り・防犯カメラ確認等の調査プロセスと結果を具体的に記載します。「警備員Aのミス」の一言では形骸化とみなされます。 |
| 事実弁明の内容 |
苦情申出者に対して何を説明し、どのような回答をしたかを記載します。「謝罪した」の一言では不十分です。 |
| 事実改善措置 |
具体的な再発防止策(誰が・いつまでに・何をするか)を記載します。「今後気をつける」等の抽象表現は形骸化の典型例として指摘対象になり得ます。 |
| 事実処理担当者の氏名 |
苦情対応を担当した者の氏名を記載します。複数名が対応した場合は全員を記載します。 |
参照法令:警備業法第20条(苦情の解決)/警備業法施行規則第66条第1項第8号(記載事項)・第2項(保存期間)
中小警備会社で非常に多い勘違いが「苦情処理簿には契約先(元請け)からのクレームだけを書けばいい」という理解です。これは誤りです。
⚠️ 警察庁の解釈運用基準(事実)
警備業法第20条の「依頼者等」について、警察庁の解釈運用基準は以下のように解釈しています。
「依頼者等」とは、「依頼者」の外、警備業務実施場所の周辺住民、通行者等をいう。(第18 苦情の解決・法第20条関係)
この解釈を踏まえると、周辺住民や通行者からの苦情であって警備業務に関するものは、苦情処理簿の記録対象として取り扱う運用が適切と考えられます(実務上の助言)。
具体的には以下のようなケースが記録対象として取り扱うことが適切と考えられます。
例
近隣住民から「夜間の交通誘導の笛の音がうるさい」という電話があった
例
現場を通りかかったドライバーから「誘導の仕方が悪くて危険だった」という抗議を受けた
例
商業施設の来場者から「警備員の言葉遣いが横柄だった」とフロントに苦情があり、施設管理会社経由で連絡が来た
例
現場責任者が直接、通行者から口頭で苦情を受け、その場で対応した
❓ 匿名・WEB経由の苦情の取り扱い
不明 匿名での苦情(SNS投稿・WEBフォーム等)について、施行規則上「氏名・連絡先」の記載が義務付けられているため、これをどう処理するかについて警察庁の明示的な通達はありません。
実務上の助言 対象外として放置するのではなく、氏名・連絡先欄に「匿名(WEBフォームから受信・氏名不詳)」と事実を記載し、原因究明と改善措置については通常どおり記録しておく運用がコンプライアンス上安全と考えられます。
参照法令・資料:警備業法第20条(苦情の解決)/警察庁「警備業法等の解釈運用基準について」第18 苦情の解決(法第20条関係)(当事務所確認日:2026年5月19日)
立入検査で担当官が最も厳しく確認するのは、「原因究明」と「改善措置」が機能しているか(形骸化していないか)という点です。以下の比較例を参考にしてください。
比較例①:交通誘導中に周辺ドライバーからクレーム
❌ 立入検査で指摘されるNG例
苦情の内容:
交通誘導が悪くて渋滞した。
原因究明の結果:
警備員Aの誘導ミス。
弁明の内容:
申し訳ありませんと謝罪した。
改善措置:
今後気をつけるよう本人を指導した。
✅ 立入検査をクリアする正しい書き方
苦情の内容:
○月○日14時頃、○○県道○号線○○交差点工事現場において、歩行者の横断を無理に止められたと通行者から電話あり(氏名:田中○○、TEL:090-XXXX-XXXX)。
原因究明の結果:
配置警備員2名(A・B)の無線連携が不足しており、歩行者優先の判断が遅れたことが原因。両名への聞き取りにより確認。
弁明の内容:
ご不快をおかけしたことを謝罪し、歩行者優先の指導を再徹底する旨を説明。申出者から了承いただいた。
改善措置:
翌日朝礼で全隊員に歩行者優先の原則を再教育(指導者:指導教育責任者○○)。当該現場の配置位置を見直し、見通しを確保した。
比較例②:施設管理会社経由で「警備員の態度」についてクレーム
❌ NG例
苦情の内容:
警備員の態度が悪いとのクレーム。
原因究明の結果:
事実無根の可能性あり。
弁明の内容:
事実確認を行うと回答した。
改善措置:
特になし。
✅ 正しい書き方
苦情の内容:
○月○日16時頃、○○施設1F入口において警備員Bの言葉遣いが横柄だったと来場者から施設管理会社へ苦情あり。担当○○氏から当社へ連絡(申出者本人は匿名希望)。
原因究明の結果:
警備員Bへの聞き取り・当日の警備日誌・防犯カメラ(録画なし)を確認。Bは入場拒否の際の声のトーン・言葉遣いについて不適切だった可能性を認めた。
弁明の内容:
ご不快をおかけしたことを施設管理会社を通じて謝罪。接遇マナーの再徹底を約束した。
改善措置:
○月○日の現任教育(接遇・コミュニケーション科目)で全隊員に言葉遣い・対応マナーを再指導。警備員B個別指導を実施(担当:指導教育責任者○○)。
参照法令:警備業法施行規則第66条第1項第8号(必須記載事項の詳細)/警備業法第20条(誠実な解決義務)
実務の現場でありがちな「これは苦情処理簿に書かなくていい」という誤解パターンを整理します(推定)。
1
「電話口での一言クレーム」は記録不要と思っている
短時間の電話であっても、内容が警備業務に関する苦情であれば記録対象として取り扱うことが適切です。「簡単に謝れば終わった」案件でも、同様の苦情が繰り返されている場合、立入検査で「組織として把握・対応していない」と評価されるおそれがあります。
2
「現場での口頭の注意」は本社に伝えなくていいと思っている
現場責任者が直接受けたクレームを「現場で解決したから」と記録しないケースです。後日同じ相手から本社へエスカレートした場合、「会社として把握・対応していた」という履歴がないため反論が難しくなります。現場日報と合わせて苦情処理簿に転記する運用を推奨します。
3
「要望・意見」だから苦情処理簿に書かなくていいと思っている
「もう少し丁寧にやってほしい」という依頼者からの言葉が「要望」か「苦情」かは文言だけでは判断しにくい場合があります。実質的にクレームに近い内容であれば、要望書と併せて苦情処理簿にも記録しておく運用の方がコンプライアンス上安全と考えられます。
4
「言いがかりだから」と記録せずに握りつぶしている
苦情の内容が理不尽・事実無根と判断した場合でも、記録しないことは複数のリスクを生みます。
第一に、同じ相手から繰り返しクレームが寄せられた場合、「何度も苦情を伝えたのに会社として対応しなかった」と主張されたときに反論の証拠がありません。
第二に、後日訴訟に発展した場面で、相手方が「以前から問題のある対応が続いていた」と主張した場合、会社側が「把握していなかった・対応していなかった」という立場に置かれるリスクがあります。
「事実無根と判断したが、苦情の申出があった事実と調査結果(事実確認ができなかった旨)を記録した」という証拠が、会社の誠実な対応を示す材料になります。
保存期間:「規定なし」は廃棄可ではない
⚠️ 保存期間の正しい解釈
事実 苦情処理簿には警備業法・施行規則上の保存期間規定がありません。
これは「廃棄してよい」という意味ではなく、廃棄してよい期限が法令に明示されていないことを意味します。
実務上の助言 訴訟リスク・行政対応での証拠保全の観点から長期保存が推奨されます。他の法定書類(労働関係書類の保存期間等)と合わせて社内ルールとして長期保存期間(5年保存等)を統一的に定める方法が、管理の混乱が少なく実務上有力です。
個人情報保護法との関係
苦情処理簿には苦情申出者の氏名・住所・電話番号等の個人情報が含まれます。個人情報保護法の適用を受けるため、以下の管理が必要です(実務上の助言)。
💡 個人情報管理の実務ポイント
アクセス制限:閲覧できる範囲を業務上必要な者(担当者・管理者)に限定します。
保管方法:紙の場合は施錠保管、電子データの場合はパスワード・アクセス制限を設定します。
利用目的の限定:苦情処理のために取得した個人情報を営業活動等に流用することは個人情報保護法上の目的外利用となる可能性があります。
廃棄時の取り扱い:保存期間経過後に廃棄する際は、シュレッダー処理や専門業者への委託など、個人情報が漏洩しない方法で廃棄します。
参照法令:個人情報の保護に関する法律(平成15年法律第57号)第18条(利用目的の特定)・第19条(利用目的による制限)/個人情報保護委員会ガイドライン(通則編)
📋 苦情処理簿 作成・管理チェックリスト
記載事項(施行規則第66条第1項第8号の要件)
苦情申出者の氏名が記載されているか(不明の場合は「匿名希望」「氏名不詳」と明記)
苦情申出者の連絡先が記載されているか(取得不可の場合はその旨を明記)
苦情の内容に「発生日時・場所・関係した警備員の氏名・具体的な状況」が含まれているか
原因究明の結果に「調査プロセス(聞き取り・記録確認等)と結論」が具体的に記載されているか
弁明の内容に「何を説明し・どのような結果になったか」が記載されているか
改善措置に「誰が・いつまでに・何をするか」が具体的に記載されているか
対象範囲の確認
周辺住民・通行者からの苦情も記録対象として取り扱う運用が社内で定められているか(警察庁解釈運用基準)
現場責任者が直接受けた口頭の苦情も本社に報告・記録されているか
匿名・SNS・WEB経由の苦情について、対象外扱いにせず記録しているか
「言いがかり」と判断した苦情も、受付・調査・結果(「事実確認できなかった」等)を記録しているか
保存・個人情報管理
法定保存期間規定がないことを理解し、社内ルールで長期保存期間(5年保存等)を定めているか(実務上の助言)
閲覧権限を業務上必要な者に限定し、施錠保管またはアクセス制限を設定しているか
廃棄時はシュレッダー処理等、個人情報が漏洩しない方法で処理することを社内ルールとして定めているか
1
苦情処理簿の必須記載事項は施行規則第66条第1項第8号に7項目が明示。「原因究明の結果」と「改善措置」の具体性が立入検査の評価ポイント(事実)
2
苦情の対象範囲は依頼者に限らず、周辺住民・通行者からの警備業務に関する苦情も記録対象として取り扱う運用が適切。根拠は警察庁解釈運用基準(事実・実務上の助言)
3
保存期間の法定規定はない(事実:不明)。廃棄可という意味ではなく、訴訟・行政対応の証拠保全のため社内ルールとして長期保存(5年保存等)を定める方法が実務上有力(実務上の助言)
4
苦情申出者・関係者の個人情報を含むため、閲覧制限・施錠保管・廃棄方法の社内ルール化が必要(実務上の助言)
5
日常的な苦情対応・改善措置の記録は、民法第715条(使用者責任)訴訟において会社の監督義務履行の証拠として機能し得る。「言いがかりだから書かない」判断は会社の防御力を削ぐリスクがある(推定)
【根拠資料・確認日】警備業法第20条(苦情の解決)・第45条(帳簿の備付け)、警備業法施行規則第66条第1項第8号(当事務所確認日:2026年5月19日)、警察庁「警備業法等の解釈運用基準について」第18 苦情の解決(法第20条関係)(当事務所確認日:2026年5月19日)、民法第715条(使用者等の責任)、個人情報の保護に関する法律(平成15年法律第57号)。本記事は当事務所が上記資料をもとに整理・再構成したものです。個別案件への法的判断を保証するものではありません。
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